出会いは自分で作る時代へ
ぼくはつい昨年まで童貞だった。
23年間長かった。
運良く会社の先輩と付き合えることになって、今日まで順調に過ごしている。
ひょっとしたら結婚するかもしれない。
このブログにはその経緯を書いてきた。
ぼくの場合は彼女と出会えて運が良かったと思う。
ぼくは童貞だったけど、そこから脱却するために何も努力をしなかった。
他の人たちと同じように普通の毎日を送っていたら運良く出会いがあっただけだ。
ぼくは偉くも何ともない。
ただの運がいい奴だ。
この正月、祖父たちから昔の恋愛について話を聞いた。
昭和までは結婚と言えばお見合いが主流だったらしい。
産まれてすぐに許嫁として相手が決められている人もいた。お金持ちの人は、相手の家の格も厳しく見るから許嫁を決めてしまうのが便利だったらしい。
逆に貧乏な家、同和の家、在日朝鮮人の家などに生まれると、相手側の家が大反対することもよくあった。結婚は個人にゆだねられるものではなく、家と家の問題だった。
自由恋愛も少なくて、多くの男性が童貞を卒業したのはトルコ風呂。今で言うソープ。
「自由恋愛で結婚する奴なんてすぐ離婚するからダメだ」と言われた時代だったらしい。
社会にとって良い面もあって、生涯未婚率が今より随分低かったし、出生数も多かった。
そんな時代をぼくは窮屈に感じるけど、
世の中全員がそれを常識だと思っている世界で生きていると、恋愛や結婚はそんなものだと思うようになるらしい。
価値観なんて時代や国によって変わるもので、自分が絶対に正しいと思い込んでいる価値観も実は環境が作ったものかもしれない。
自由恋愛から結婚するのが当たり前の今は、自由な分だけ自己責任になる。
モテる人はより良い相手を選べるが、モテない人は1人の相手も見つからない。
モテなくても誰も世話をしてくれない。
アメリカの経済に似ている。
アメリカは自由の国。
簡単に密入国できるし、商売もできる。税金さえ払えば密入国者でも国籍がもらえる。
日本では考えられないくらい自由がある。
能力が高い人は大成功できるため億万長者の数が世界一多い。
一方で、日本では考えられないくらい自己責任の国。
能力が低い人を国は救わない。社会保障の予算が少ないため、医療費はとんでもなく高い。貧乏な人は虫歯も治せない。ホームレスも非常に多い。
二極化している。
自由には必ず自己責任がワンセットになっている。
恋人を作るのは自由だけど、作れなくても自己責任。
だから今の日本は生涯未婚率がどんどん上がっているんじゃないかな。
その代わりに、恋人を見つけるツールは昔よりも充実している。
昔は親戚や近所の世話好きおばさんに相手を紹介してもらうのが常だったけど、今はネットがある。
マッチングアプリを使えばいくらでも相手が見つかる。
ぼくもMさんと付き合う前はマッチングアプリを使おうと思っていた。たまたま仕事が忙しくて使っていなかっただけで、時間に余裕があれば絶対にやっていた。
マッチングアプリ以外にも、街コンや結婚相談所がある。
恋愛も経済も、成功したいなら自分でつかみに行くしかない時代になったのだと思う。
所得の低い人は、
それを自分の能力や努力不足のせいではなく国や社会や家庭環境のせいにすることがある。自己責任だと認めない人をよく見かける。
結婚できない人たちは、
いさぎよく自己責任だと認めている人が多い。
でも、本当は社会の価値観が変わったことも大きい理由なんだと思う。
付き合って半年
Mさんと付き合って半年が経過した。
ぼくにとってちゃんとお付き合いした初めての彼女がMさんだ。
Mさんとの出会いから付き合うまでの経過については過去の記事に書いたので、知らない人は遡って読んでみて欲しい。
付き合う以前からわりと密に毎日同じ時間を過ごしていたのだが、付き合ってみるとぼくの知らないMさんがそこにはいる。
好きな食べ物や音楽から、過去の経験、意外な特技、地雷ポイント、男の好み、性癖まで知らなかった部分が日に日に増えてきた。
やたらジャガイモの入った料理を選ぶな…とか、いろんな意味で耳が好きなんだな…とか。
よく3か月の壁とか、6か月の壁とか、3年の壁など、別れるタイミングのことを言うけど、なるほどそういうことなんだなと実感している。
知らなかった部分が見えてきて、お互いにカッコつけていたメッキも剥がれ、相手の許せないところを発見してしまう。
最初は好きなところしか見えないのに、時が嫌いなところを暴き出す。
嫌いなところが我慢できなくなるのが3か月目や6か月目なんだろう。
ぼくらの場合はどうかというと、けっこう大丈夫な感じ。
もちろん好き嫌い、価値観の違いはあるけど、相手を否定したくなるようなものはない。許容範囲内。
Mさんもぼくに対してそんな気持ちでいるようだ。
別れる気がしないんだけど、どうなんだろう?
何がきっかけで別れることになるのか想像がつかない。
めちゃくちゃ魅力的な人が別に現れた時くらいか?
なにぶん初めてなことばかりで、勘違いしているのかもしれないけど、
ひょっとしたら数年後、結婚しているのかなと思う。
それでいい気がする。
愛知トリエンナーレと表現の自由とプロパガンダと
ちょっと前から話題になっている芸術展。
あいちトリエンナーレ。
その中で、津田大介氏がプロデュースしている一角が大騒動を巻き起こしている。
ぼくは津田大介という人を軽蔑している。
彼は学生時代から社会人時代にかけて在籍していた会社で横領をしていたり、ツイッターのフォロワーや自身の講演を拡散する自演アカウントが大量に見つかっていたり、悪い面があることを指摘されている。
表現の自由について過去には「一線を越えた差別表現というものは言論ではない」と言っておきながら、今回の展示では一線を越えた差別表現の作品を選んでいる。
津田氏とイデオロギーが対立していた作家の百田尚樹氏のサイン本の不買運動をしていたこともあるそうだ(百田氏談)。
さらに展示前には、天皇を燃やす作品について問われ「二代前だし人々の記憶もあまり(ない)。歴史上の人物?みたいな(ノリでいけると思う)」とにやけ顔で茶化す動画も存在している。
今何を言おうとも、過去の行動は消せない。
二枚舌な人間は一面だけを見ると良い人に見えるが、もう一面を見ると正体が暴かれる。
そんな彼がこの祭典で芸術を展示したかったのか、プロパガンダを展示したかったのか、容易に想像がつく。
彼が「これは芸術だ」と言っても、それが彼の本心とは思えない。会社のお金を横領したり他人の表現を妨害してきた人間の言うことだからだ。
ここまでは津田氏に思うところを書いたが、それとは別に表現の自由について思うところがある。
それを洗いざらいこの記事に書きたかったのだが、ぼくは言葉を操るのが下手だ。
うまく伝えられない。
ちょうどよくぼくの意見をそのまま発言しているお二人がいたので、
彼らに代弁をお願いすることにした。
ぼくは彼の意見に完全同意している。
彼が語ったこちらの記事を読んでみて欲しい。
橋下徹「津田大介さんはどこで間違ったか」 必要なのは「手続き的正義」の考え方 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
表現の世界に生きる人が考える、表現の伝わり方についての考察。
ぼくが言いたかったことを見事に説明してくれている。
「表現の不自由展」に関する中村佑介さんとアジカン後藤正文さんとのやり取り - Togetter
ぼくはあらゆる政治的主張をテーマにした芸術作品だけを集めた「プロパガンダ展」を開催してほしいと思っている。
大日本帝国万歳という作品、天皇を全否定する作品、慰安婦を全肯定する作品、慰安婦を全否定する作品、法治主義を全否定する作品、憲法を全肯定する作品、ヒトラーを崇拝する作品、ユダヤ人の支配を崇拝する作品、中華思想を肯定する作品、中国の人権侵害を糾弾する作品などなど。
なんでもありの展示会だ。
反対の思想の人が見れば作者に殺意を覚えるような作品でもいい。
その代わり、必ず反対する人の作品や中道の人の作品も展示すること。
戦いは暴力ではなく芸術で行う。
芸術で思想を戦わせるコロシアムにしてしまうのだ。
これはすごく面白いと思う。
あらゆる思想を展示することで結果として作品の持つメッセージ性よりも、作品の芸術性が浮き彫りになると思う。
どんな思想であれ表現がクソなものはクソにしか見えないだろう。
表現が美しいものは思想を越えて美しさを感じるだろう。
同じメッセージを持たせていても、プロパガンダを目的として作られた作品と芸術を目的として作られた作品は違う。
偽物が暴かれることで、芸術の本質が見えてくるのではないかと思う。
思想は芸術に敗れるのだ。
選挙
選挙に行ってきた。
ぼくは選挙に行く派。
選挙に行く派という言い方が通用してしまうことが哀しい国だなと思う。
行って当たり前のものだから。
選挙に行かない人の言い分を聞いてみると、人それぞれいろいろ言う。
・自分の1票では何も変わらない
・入れたい人がいない
・用事がある
・政治家が嫌い
選挙に行った方が良いことくらいみんな分かっている。
入れたいと思える人がいなくても、一番マシな人に入れればいいことくらい分かっている。
選挙に行く時間が取れないほど忙しい人なんてほぼいない。期日前投票もある。
政治家が嫌いなら自分が立候補すればいい。
どれも正論の前には無力な言い訳だ。
いろいろ言い訳を言っているけど、どれも本音じゃない。
行かない本当の理由は「面倒くさい」からだ。
人間は正しいと分かっていても行動しない生き物。それが本質だから。
・ダイエットした方がいいと分かっていても食べる。
・勉強した方がいいと分かっていてもサボる。
・気を使った方が良いと分かっていても自分勝手なことをする。
・選挙に行った方がいいと分かっていても行かない。
どうしようもないくらい怠けたいのが人間だ。
そして後になって怠けたツケを払うことは嫌がる。
自分が怠けた結果、酷いことになっても人のせいにする。
本当にどうしようもないバカばっかりだ。
選挙に行かない人から国籍を剥奪すればいいのに。
そうすればいかに国から恩恵を受けて生活しているかが分かると思う。
そういえば、霊感のある美輪明宏さんが仰っていた。
「バカは死ななきゃ治らないって嘘よ。バカは死んでもバカだからどうしようもないの。本当にたちが悪くて困る。」
われわれ人間は魂レベルで愚かなのかもしれない。
酒の力
同じチームにぼくと性格の合わない同期がいる。
彼はやたらと負けん気が強くて、本来それはいいことなのだが、
負けたくないターゲットがぼくに向いているのが厄介。
何かにつけて張り合って来たり、嫌味を言って来たりする。
ぼくの仕事に支障をきたすことはないが、チームには迷惑をかけることもある。
そのためチームの先輩たちに彼は嫌われてしまっている。問題児という扱いだ。
先輩と二人でいるときに「なんでお前らはそんなに仲が悪いんだ?(笑)」と茶化されることもあった。
もちろん先輩はぼくをからかって言っているだけで、同期の性格に問題があることは共通認識としてチームのみんなが持っている。
同期の彼は自己中なところはあるものの、本質的に悪い人間ではない。
ハングリーさが悪い方向に向かっているだけだと思う。
良い方向に向けば彼は能力を存分に発揮するはずだ。
その彼がなぜかぼくを飲みに誘ってきた。
会社帰りに2人きりで。
ぼくはビックリしたけど、断る理由もないし、誘いに乗った。
ちょっとお洒落な居酒屋で彼と二人。
なんで男と、しかも仲良くない奴とこんな店に・・・と思いつつも、逆にその違和感が楽しくなってきた。
仕事の話、学生時代の話。
喧嘩や言い合いになることもなく、いつも通りな感じで会話は進んだ。酒も進んだ。
飲みに誘われた時点でぼくは思っていた。
彼はきっと何が言いたいことがあるのだろうと。
言いたいことを言ってもらうには、聞き役に徹しようと。
何を言われてもイライラせず、反論せず、彼の価値観、考えを一通り全部聞いてみようと。
そういう心構えだったので、いつものように彼が嫌味を言うこともあったけど聞き流した。
ビールや酎ハイを3杯ほど飲んだところで、彼は言った。
母親が韓国人なんだと。
会社の人には誰にも言っていないらしい。
とても言いづらそうに言ったのが印象的だった。
ハーフの人の気持ちはぼくにはまったく分からないが、いろいろ気苦労することはあるんだろう。
過去に嫌な経験をしていれば、言い出しづらい人もいるかもしれない。
ぼくは彼がハーフだとは1ミリも思ってなかったので、ビックリした。
「お前ハーフなんだ。全然分かんないな。まあ韓国なら見た目も同じだもんな」
こんな感じのリアクションをした気がする。
あとは「やっぱ自家製キムチとか作るの?」とか聞いたり(彼の実家では作るらしい)、「小さい頃は韓国人の夫婦が近所に住んでて可愛がってもらった」みたいな昔話をした。
その後は普通に飲んで、割り勘で支払って帰った。
結局、彼が何を言いたかったのかは分からなかった。
いつもと違う話をしたのはハーフのことだけ。
でもそのことについて深い話をしたわけでもない。
翌日、彼は穏やかになった。
ぼくに対してだけだが。
彼がぼくに押し付けていた雑務を、積極的に手伝ってくれた。
「雑務だからすぐに終わると思っていたんだけど、時間取られるんだな。気づかなくてごめんな。」と謝罪をされた。
2人で飲んだだけだが、それで彼の中でぼくに対する気持ちが変わったようだった。
今までどう思ってて、今はどう思っているのかは分からない。
事実として彼との関係はよくなった。
これが酒の力か。
今がピーク
なんか、最近すべてがうまく行き過ぎて怖い。
Mさんとは順調。
GWにはMさんの実家のある九州に旅行に行った。
というか、実家に挨拶に行った。
初めて付き合った彼女と付き合って1か月くらいで親に挨拶に行くことになるなんて思いもしなかった。
もちろん結婚すると決めたわけではない。
ぼくの恋愛経験値はそんなレベルに達してない。ついこの前まで童貞だったんだから。
Mさんは毎年GWには帰省していて「一緒に行かない?」と誘われたから、まあいっかと思って行ってみた。観光名所もあるのでそれも楽しみだし。それだけのことだった。
でもご両親はそんな軽い気持ちで迎えないだろうから、一応ビシっと締めていかないと。
和菓子で日本一のお店でお土産を買って、最近買ったばかりのスーツを着て、挨拶の言葉、自己紹介の方法を考えて。Mさんからご両親のことをたくさんリサーチして相手の性格に合わせて。
できるだけの想定と準備をして臨んだ。
ご両親には「結婚の挨拶ではないから気楽に」とMさんが伝えていた。
そのせいか穏やかに迎えて頂いた。
付き合ったばかりということも伝えたら「東京からすぐに挨拶に来るなんて真面目ね」とお母さんに笑われた。お父さんも笑っていた。
犬も大歓迎してくれた。
その日はMさんの実家に泊って、翌日からは観光。
楽しいGWだった。
仕事の方は5月から新チームに異動。
新しいチームの人たちともうまくやれそうな感じ。
先輩たちには何かと可愛がってもらえている。
同期の1人がやたらとライバル心を燃やしてくるのだけが、とても面倒だけど。
こいつ面倒だなぁと思っていたら、チームの他の人たちからも嫌われているようだった。
チームなんだから仲間なのに、なぜ敵視しちゃうんだろうか。
彼は何と戦っているのだろうか。
まあ、上手に付き合っていこう。
過去を振り返ると、ぼくの人生で今が一番幸せな気がする。
ピークだ。
でも登った山はいつか降りる。
だいたい想定外のことが起きて、そこから転がり落ちる。
分かってはいるけど怖いなぁ。
卒業
あれからまたいろいろあった。
いろいろありすぎたので、このブログに全部書こうと思った。
思ったんだけど。
今までの記事を読み返してみると、知ってる人がたまたま読んだら完全特定されると思った。
アクセスなんてほとんどないネットデブリのブログだから、知り合いに読まれる可能性は低いだろう。
限りなくゼロに近い。
登場人物は全員仮名にしてあるし、最低限の配慮はしてある。
それでも、やっぱりダメだ。
どこにどんなリスクが潜んでるか分からないのがネット。
書けるのはここまで。
ここからはプライベートに突っ込み過ぎてしまう。Mさんにも悪い。
継続的に読んでくれている読者の人がもしかしたら1人か2人くらいいるかもしれない。
その方々には期待外れで申し訳ない。
中途半端な気持ちにさせてしまったかもしれない。
細かいことは全部すっ飛ばして、言えるところだけ言うと、付き合って卒業しました。
実際にやってみると想像からそんなに外れてなかった。
とても幸せな時間だったし、彼女も幸せそうだった。
でもぼくの中で何かが変わるわけでもなかったし、劣等感が消えて自信がつくわけでもなかった。
ぼく自身は何も変わらなかったけど、ぼくと彼女の関係性は深まった。
それが良かった。
それが100点満点だと思う。
来月からは新しい仕事が始まるし、勤務地も変わる。
一からがんばろう。