感情と想像力

 

競泳女子の池江璃花子選手が白血病を公表したことが話題になっている。

 

ぼくの家族も3歳で白血病になってしまったことがあった。

池江選手の気持ちは分からないけど、池江選手の家族の気持ちはぼくにはわかる。

水泳もオリンピックもどうでもいいから、ただ生きててくれればそれでいいというのが本心だろう。

 

世間では池江選手に同情する声がすごく高くて、それは当然だし、ぼくも可哀相だと思っている。

一方で、ぼくの心にはちょっと違う感情もある。

 

池江さんのことを傍から見れば、18年以上健康にこれて、日本新記録を何度も作って、大勢の人たちから賞賛されてきた人生だ。その成功の裏にはとてつもない努力もあっただろうし、強靭な精神力もあっただろう。

病気にさえならなければ、東京オリンピックで大活躍していたことは誰でも想像できる。

 

でもぼくの家族は3歳で白血病になった。

池江さんのような類まれな才能を持っていても発揮できなかった。努力するチャンスさえ与えられなかった。同じ病気で苦しみ励まし合っていた人たちは、僕の家族より早く亡くなってしまった人もたくさんいる。

 

ぼくが見てきた経験からすると、池江さんはまだマシなんだよね。

もちろん不幸なんだけど、もっと不幸な経験をしていると多くの人が騒ぎ立てるほど深刻な気持ちにはならない。

 

これは不幸や苦しみに対する慣れなのか、元々ぼくが鈍感なのか。

こんなことを書くと批判する人も多いんだろうな。

 

 

過去にどんな人生だったかは関係ない。

人生は常に未来に価値がある。

未来がつながっている限りは希望を持てるし、希望こそが生命力の源。

池江さんには常に希望を感じながら病魔と闘って欲しい。